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寛永2年(1625)天海僧正は、比叡山延暦寺にならい、上野台地に東叡山寛永寺を創建した。不忍池は、琵琶湖に見立てられ、竹生島に因んで、常陸(現・茨城県)下館城主水谷勝隆が池中に中之島(弁天島)を築き、更に竹生島の宝厳寺の大弁才天を勧請し、弁天堂を建立した。
当初、弁天島へは小船で渡っていたが、寛文年間(1661〜72)に石橋が架けられて、自由に往来できるようになり、弁天島は弁天堂に参詣する人々や行楽の人々で賑わった。
弁天堂は、昭和20年(1945)の空襲で焼失し、昭和33年(1958)9月に再建された。弁天堂本尊は、慈覚大師の作と伝えられる八臂(はっぴ)の大弁才天、脇士は毘沙門天、大黒天である。
本堂天井には、児玉希望画伯による「金竜」の図が画かれている。また、本堂前、手水鉢お天井に、天保3年(1832)と銘のある谷文晁による「水墨の竜」を見ることができる。
大祭は、9月の巳の日で、巳成金(みなるかね)という。 |
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