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明暦3年(1657)、江戸史上最悪の惨事となった明暦大火(俗に振袖火事)が起こり、犠牲者は十万人以上、未曾有の大惨事となった。遺体の多くが身元不明、引取り手のない有様だった。
そこで四代将軍徳川家綱は、こうした遺体を葬るため、ここ本所両国の地に「無縁塚」を築き、その菩提を永代にわたり弔うように念仏堂が建立された。
有縁・無縁、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという理念のもと、「諸宋山無縁寺回向院」と名付けられ、後に安政大地震、関東大震災、東京大空襲など様々な天災地変・人災による被災者、海難事故による溺死者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命が埋葬供養されている。
また、江戸時代には寄付相撲、いわゆる勧進相撲が回向院境内で行われ、天保4年(1833)から旧国技館ができるまでの76年間、大相撲の開催場所となった。 |
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<回向院正門跡>
回向院(えこういん)の正門は、かつてこの位置にあった(現在の両国幼稚園:両国2−8−10)。回向院の伽藍は東京大空襲で焼失したが、戦後、再建され、正門は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移された。
かつての回向院正門は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきり見ることができた。両国橋があたかも回向院参道の一部を成しているかのようで、明暦の大火による焼死者十万人以上を埋葬する回向院の社会的な存在意義を表したものともいえる。
両国橋や回向院正門に至る広小路や元町の賑わいは、北斎画「絵本隅田川両岸一覧(両国納涼)」などに描かれている。 |
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