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<善國寺の毘沙門天像>
「神楽坂の毘沙門さま」として、江戸時代より信仰をあつめた毘沙門天立像である。
木彫で像高30p、右手に鉾、左手に宝塔を持ち、磐座に起立した姿勢をとる。造立時期は室町時代頃を推定されるが、詳しくは不明である。加藤清正の守本尊だったとも、土中より出現したともいわれる。
善國寺は、文禄4年(1595)コ川家康の意を受けて日惺上人により創建された。この像は、日惺上人が鎮護国家の意をこめて当山に安置したもので、上人が池上本門寺に入山するにあたり、二条関白昭実公より贈られたと伝えられる。
毘沙門天は、別名を多聞天と称し、持国寺・増長天・広目天と共に四天王の一つである。寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に世に現れたといい、北方の守護神とされる。
善國寺の毘沙門天は、江戸の三毘沙門と呼ばれ、多くの参詣者を集め、明治・大正期には東京でも有数の信仰地として賑わった。現在も、正月・五月・九月の初寅の日に毘沙門を開帳し、賑わいを見せている。(新宿区指定有形文化財)
<善國寺の石虎>
安山岩製の虎の石像で、像高は阿形(右)が82p、吽形(左)は85p、台石・基礎部も含めた総高は、両像ともに2mをこえる。台石正面には浮彫があり、虎の姿を動的に表現している。
嘉永元年(1848)に奉納されたもので、阿形の台石右面には、「岩戸町一丁目」「藁店」「神楽坂」「肴町」などの町名と世話人名が刻まれ、寄進者が善國寺周辺の住民であったことがわかる。石工は原町の平田四郎右衛門と横寺町の柳沼長右衛門である。
善國寺は毘沙門天信仰から「虎」を重視し、石虎の造立も寄進者らの毘沙門天信仰によると考えられる。また、台石に残された寄進者名や地名は、江戸時代後期における善國寺の毘沙門天信仰の広がりを示している。
石虎は都内でも珍しく、区内では唯一の作例である。戦災による傷みが見られるが、希少な石像であるとともに、地域にとっても貴重な文化財である。
なお、阿形の台石正面にある「不」に似た刻印は、明治初年のイギリス式測量の几号水準点で、残存している数は全国的にも少ない。(新宿区指定有形民俗文化財) |
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