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<品川寺(ひんせんじ)の六地蔵>
江戸六地蔵の由来は、その一つ太宗寺の像内にあった刊本「江戸六地蔵建立之略縁起」によれば江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したことから、京都の六地蔵に倣って、宝永3年(1706)造立の願を発し、人々の浄財を集め、江戸市中6か所に地蔵菩薩をそれぞれ1体ずつ造立したものです。
各像の全身及び蓮台には、勧進者、その造立年代などが陰刻されており、神田鍋町鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことがわかる。六地蔵のうち、深川にあった永代寺の地蔵菩薩(第6番)は、廃仏毀釈で取り壊され、5体が残っている。六地蔵のうち、霊厳寺の地蔵は第5番目で、享保2年(1717)に造立された。他の六地蔵に比べ、手の爪が長く、宝珠を持つ左手の指のうち、4本の指が密着した形になっている。像高は、273p、かつては鍍金が施されており、所々に金箔が残っている。江戸時代中期の鋳造像としては大作であり、かつ遺例の少ないものであることから文化財に指定された。(東京都指定有形文化財) |
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