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曹洞宗の寺だが、赤穂事件(忠臣蔵)の吉良上野介義央の墓があることでよく知られている。東京名所図会より本寺の解説を引用する。
『本寺は久宝山万昌院と竜谷山功運寺の両寺が合併したものである。
万昌院は久宝山と号し、天正2年に、今川義元の子氏真の第4子長得が、群馬県室田の長年寺より仏照円鑑禅師を招いて開山した。
功運寺は竜谷山と号し、慶長3年に、永井信濃守尚政が父直勝、祖父重元の菩提を弔うために、愛知県・龍門寺より黙室芳ァ禅師を招いて開山した。
両寺とも開山当初は府内にあったが、火災あるいは諸事情により、万昌院は大正3年、功運寺は大正11年に現在の地に移り、昭和23年、両寺は合併し、万昌院功運寺と号した。
墓地には永井家の宝篋印塔や、吉良家14代から17代の墓がある。吉良上野介義央は吉良家17代目に当り、ここに墓がある。また著名な人物では、旗本白柄組頭領・水野十郎左衛門。浮世絵師・歌川豊国。南蛮外科医の栗崎道有。直心影流の祖・長沼国郷、長沼活然斉綱郷。「放浪記」を書いた作家の林芙美子などの墓もある。江戸町奉行・大岡越前守の墓は昭和35年に同家の菩提所である茅ケ崎浄見寺に移された。』今川家の墓は、今川家の菩提寺が勧泉寺(杉並区)に移転するまで墓所であった。 |
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