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<史跡 肥前佐賀藩主鍋島家墓所>
賢崇寺は、肥前佐賀藩主鍋島勝茂が、寛永十12年(1635)疱瘡で死んだ嗣子忠直ぼ菩提を弔うために忠直を開基として創建した寺で、忠直の戒名「興国院殿敬英賢崇大居士」より、興国山賢崇寺と名づけられ、江戸における鍋島家の菩提寺となった。
鍋島家墓所は、約千百uの範囲に画然とした墓域を形成しており、開基忠直、初代勝茂、9代斉直、初代小城藩主元茂(忠直兄)とその夫人達など一族の五輪塔の墓が並んでいる。
各墓へは、参拝用の門をもつ石造の格子状の垣を巡らして聖域を形作り、各門の前両側には石燈籠が配されている。門の扉は既に失われているが、江戸時代の有力な大名家の墓の形態をよく遺している。とくに、墓石の全てが五輪塔に統一されていることは興味深い。 |
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勝茂の墓の裏には、勝茂の死に際して殉死した重臣たちの板石状の墓三十基が整然と並んでいる。これは、殉死という江戸初期の武士の遺風を知るうえで貴重である。東京都港区指定文化財 |
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昭和11年(1936)2月26日に起きた2・26事件。処刑された青年将校たちの墓がここにある。 |