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<日本橋西河岸地蔵寺の沿革>
当寺に安置してある地蔵菩薩は、元正天皇(715〜724)の御宇、諸国巡歴中の行基菩薩が、衆生結縁のために暫く遠州四方城(静岡県引佐郡ー現、浜松市)に草庵を構えた折に、地蔵菩薩の霊告を受け、自ら丈二尺八寸の像を彫刻したものと伝えられている。
この地蔵菩薩は、天海僧正の持仏で、至心に祈願すれば日ならずして御利益を授かるところから、「日限地蔵尊(ひぎり)」と呼ばれ、ことに延命祈願に霊験あらたかな事は古来より広く世に知られている。
享保3年(1718)9月、勝縁の地として、ここ西河岸に遷座し、今日まで二百数十年を数える。建立の当時は「正徳院」と呼ばれ、天皇直々に拝謁し奏上のできる格式高い寺であった。その後、明治維新の廃仏毀釈と大正12年(1923)9月の関東大震災や太平洋戦争の戦災などによる多くの変遷を経て、今日に至っている。
なお、現在の堂宇は昭和52年(1977)4月新たに建て替えられたものです。
<板絵着色 お千世の図額>
大正4年(1915)3月、本郷座で泉鏡花原作「日本橋」初演のおり、当時21歳の無名であった新派の俳優、花柳章太郎は、お千世の役を熱望し、劇と縁の深い西河岸地蔵堂(昭和24年(1949)、日本橋西河岸地蔵寺教会となる)に祈願した。「日本橋」は檜物町(現、日本橋3丁目、八重洲1丁目)の花街を舞台とした、いわゆる日本橋芸者の物語で、お千世は登場する芸妓のひとりだった。章太郎は、この劇でお千世役に起用されて好演し、これが出世役となった。
ここに所蔵される「お千世の図額」は、2度目のお千世役である昭和13年(1938)の明治座上演の際に、章太郎が奉納したものです。この絵を描いた小村雪岱は、「日本橋」の本の装丁や挿絵も担当した日本画家で、図額には章太郎と鏡花の句も添えられている。この「お千世の図額」は、地域にゆかりの深いものとして、中央区民有形文化財に登録されている。 |
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