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真言宗豊山派大本山 護国寺(総本山は奈良県櫻井市の長谷寺)
1681年、5代将軍徳川綱吉が、生母桂昌院の願いにより創建した寺で、将軍家の武運長久を祈る祈願寺となった。明治期以降は徳川家との関係はなくなった。三条実美、山縣有朋、大隈重信、田中光顕など著名人の墓所となっている。
<護国寺仁王門>
八脚門(やつあしもん)、切妻造で丹塗。元禄期造営の本堂、薬師堂や大師堂などから成る徳川将軍の祈願寺としての伽藍の中で、重要な表門である。建立の年代については、元禄10年(1697)造営の観音堂(現本堂)などよりやや時代が下がると考えられる。正面(南側)の両脇に金剛力士像(右側阿形(あぎょう)像、左側吽形(うんぎょう)像)、背面(北側)の両脇には、二天像(右側増長天、左側広目天)の仏法を守る仏像が安置されている。
<鐘楼>(付梵鐘)
江戸時代中期の造営である。都内同種の遺構がほとんど失われている中で、当時の様式を伝える貴重な文化遺産である。また、この鐘楼の梵鐘は、天和2年(1682)に寄進されたものである。銘文は、5代将軍綱吉の生母桂昌院による観音堂建立の事情が述べられ、護国寺が将軍家の祈願寺として、幕府のあつい庇護を得たいたことを示す貴重な歴史資料である。 |
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<唐銅蓮葉形手洗水盤一対二基>
この手洗水盤は、江戸幕府五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院よりの寄進である。
当山の縁起伝承と明治末期から昭和初期の鋳金家・金工史家香取秀真氏の調査記録に、元禄10年(1697)頃に鋳造され、江戸鋳物師椎名伊豫良寛の製作と記載されている。
この手水舎は、江戸時代後期に刊行された「江戸名所図会」にも描かれており、江戸元禄期から明治大正期には当山境内の湧水を利用する大変珍しい自噴式手洗水盤だった。この度、篤信の方より浄財を寄進賜り改修復元する事ができた。 |
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晩秋の小雨降る寒い日に再訪する。境内は静寂そのものであった。
護国寺の山門の朱の丸柱
強きものこそ美しくあれ (窪田空穂) |