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正式名称は「無量山傅通院寿経寺」(浄土宗)
当山は今から約600年程前の応永22年(1415)浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山したお寺。当時は小石川極楽水の小さな草庵で無量山寿経寺という名で開創された。
それから200年後、慶長7年(1602)8月29日、徳川家康の生母於代の方が逝去され、この寿経寺を菩提寺と定めた。於代の方の法名「傅通院殿」から「傅通院」と呼ばれるようになり、徳川家の庇護のもと、大伽藍が整えられた。
また、当山は関東十八檀林の一つとして学僧の修行勉学の場となり僧侶養成の重責を担っていた。更に明治以後には淑徳女学校を設立。広く社会に向けて子女教育にも力を注いでいる。
しかし、このような歴史の中にも、享保6年(1721)・同10年(1725)・明治43年(1910)の3度の大火にあい、更に第2次世界大戦では境内建物、宝物等全て灰燼に帰してしまった。戦後は復興にはげみ、昭和63年(1988)新世紀の宗教活動に対応できる新本堂を建立。平成9年(1997)に繊月会館を建立。平成11年(1999)には観音堂を建立し現在に至っている。 |
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伝通院には、於代(徳川家康の生母)、千姫(徳川秀忠の娘)、孝子(たかこ、徳川家光の御台所)、清河八郎(幕末勤王の志士)、沢宣嘉(さわのぶよし、七卿落の一人<七卿とは、三条実美、三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、壬生基修、錦小路頼徳、沢宣嘉の七人の幕末・明治初期の公卿>)、杉浦重剛(すぎうらしげたけ、明治・大正の教育者・評論家)、古泉千樫(こいずみちかし、明治・大正・昭和の歌人)、佐藤春夫(大正・昭和の詩人・小説家)などの墓がある。 |
大変興味深く拝見しました。お気に入りに入れました。ゆくゆくは私も作ってみたいです。それにしても於大の方はすごい・・・!!久保田 稔 |
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