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浄土宗の寺で龍馬山義経寺と号する。聖観音菩薩像(円空作・県重要文化財)を安置しており、津軽三十三観音霊場第19番札所であり源義経渡海伝説の地でもある。神仏混交で山門から本堂の間に観音堂、弁天堂、金比羅、堂阿弥陀堂が並んでいる。
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文治5年(1189)、兄頼朝の計らいで、衣川の高舘で藤原秦衝に急襲された源義経は、館に火をかけ自刃した。これが歴史の通説であるが、義経は生きていた!
藤原秀衡の遺書 (危険が身に迫るようなことがあったら館に火をかけ、自刃を粧って遠くの蝦夷が島(北海道)へ渡るべし) のとおり北を目指しこの地に辿り着いた。
近くに蝦夷が島を望むが、荒れ狂う津軽海峡が行く手を阻んで容易に渡ることが出来ない。そこで義経は海岸の奇岩上に座して、三日三晩、日頃信仰する身代の観世音を安置し、波風を静め渡海できるように一心に祈願した。
丁度満願の晩に、白髪の翁が現れ、”三頭の龍馬を与える。これに乗って渡るがよい”と云って消えた。翌朝厳上を降りると岩穴には三頭の龍馬が繋がれ、海上は、鏡のように静まっていて義経は無事に蝦夷が島に渡ることができた。(厩石(まやいし)の説明文)
義経が渡海した500年後、厩石を訪れた円空は、義経の守り神だった観音様が岩の上で光っているのを見つける。そこで流木で仏像を彫りその中に観音像を納め、小さなお堂を建てて祀った。そのお堂が龍馬山
義経寺となる。 |
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