|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
鈴鹿国定公園内の観光地「藤の寺」の名で広く知られている正法寺は、十一面観音立像を本尊とする臨済宗妙心寺派の禅寺で、もと八阪神社の脇にあった観音堂を、元禄5年(1692)に普存という禅僧がここへ移して再興し、同時に境内に藤も植えた。後光藤(ごこうふじ)と名付けられているこの藤は、藤房が特に長く開花期は多くの人々が訪れる。樹齢は300年を越える。本堂は文化11年(1814)に再建され、境内は明治初期に整備された。
<後光藤>
正法寺第一世住職 普存禅師 が元禄時代の始め、京都の仙洞御所から移されたもの。この藤は「ノダフジ」で正法寺山をその昔、後光山と呼んでいたのでその名をとって「後光藤」と呼ぶようになった。
<放生池>
仏教では殺生することが禁じられている。水の中で生きている魚や亀などを仏に護られて生きられるようにと、池の中へ放してやるための池です。
<石造宝塔>
鎌倉時代後期に造られたこの石造宝塔は、時代様式をよく表す優れた石造物として国の重要文化財に指定されている。東南面に「正和二二年大才乙卯十二月」の刻銘があり、正和4年(1315)に衆人の浄財によって造立されたことが判明する。造立当時からここにあったのか、他から移建されたのかは不明だが、正法寺本堂厨子内に伝わる二体の鎌倉期の天部像とともに、この地方の歴史を探る上での貴重な文化財である。
「鎌掛」は「かいがけ」と読む。滋賀県の難解地名の一つです。江戸初期までは「鎰懸村(かぎかけむら)」でしたが、東海道土山宿と中山道愛知川宿を繋ぐ脇街道ができ、「北国街道」の宿場町が「鎌掛宿」になった時から、「鎌掛村」の字が使われるようになった。この脇街道が明治の頃から「御代参街道」と通称されるようになった。
この街道は又の名を「伊勢街道」とも呼び、昔の鎌掛宿は大層な賑わいを見せていた。全村が真宗の門徒であり、この正法寺のみは村人達から帰依寺として、禅宗の法灯を伝えてきている。
鎌掛の里には、国の天然記念物に指定されている「鎌掛谷ほんしゃくなげ群落地」と、「鎌掛の屏風岩」という2つの天然記念物がある、自然豊かな美しい里でもある。 |
|