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当山は禅・臨済宗で、古来より景色の美しさで名高かった。寺の始めは古く、奈良朝時代に此の地に関所が設けられ其の守護として傍らに仏堂が建立せられたのが始めと伝えられる。而し、寺として基礎の固まったのは鎌倉時代後、足利尊氏此の寺を再興(1342)徳川時代を経て今日に至った。その間、幾度か戦禍を受けたるも再建復興してきた。
江戸時代、朝鮮通信使がこの清見寺を宿泊所や休憩所として使っていた。境内一円が朝鮮通信使遺跡として国指定史跡となっている。清見寺の眺めを故国の古刹烙山寺(ソクサンサ)になぞらえることが多かったようである。朝鮮通信使は朝鮮王朝から派遣された外交使節でほぼ500人ぐらいで編成されていた。外交使節団は、釜山〜対馬〜壱岐〜(瀬戸内海)〜大坂〜(淀川)〜京都〜江戸と旅して行った。往復で数ヶ月もかかる行程であった。
<山下清 「清見寺スケッチの思い出」>
清見寺という名だな このお寺は 古っぽしいけど上等に見えるな お寺の前庭のところを汽車の東海道線が走っているのはどういうわけかな お寺より汽車の方が大事なのでお寺の人はそんしたな お寺から見える海はうめたて工事であんまりきれいじゃないな お寺の人はよその人に 自分のお寺がきれいと思われるのがいいか自分のお寺から見る景色がいい方がいいかどっちだろうかな
A fine autumn day;
One Single line of pines on Miho Cape,
Stretching out in the blue sea. |
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