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長篠山医王寺は永正11年(1514)に創立され、曹洞宗で薬師如来を本尊とし、克補契嶽大和尚によって開山され、現在七つの末寺がある。
天正3年(1575)長篠の戦いの時、武田勝頼がここに本陣をしいた。
境内の弥陀が池には、勝頼の設楽原出撃を諌めたアシが、勝頼の勘気にあって切りつけられ、片葉になったという「片葉のアシ」が生えている。境内には「武田勝頼公本陣跡」の石碑が建っている。
<医王寺山武田勝頼本陣跡>
医王寺山は、天正3年(1575)武田勝頼が長篠城攻略に際し、陣城として使った跡といわれ、広島市立中央図書館、浅野文庫所蔵の諸国古城図のうち「勝頼陣城」として描かれた絵図と同様な平坦地(曲輪)が今に残っている。
なお、ここは国指定史跡「長篠城跡」・市指定史跡「馬場美濃守信房の墓」を南に控え、「鳶ヶ巣砦」跡はじめ武田軍陣地の全部が展望できる位置にあたる。 |
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武田勝頼本陣は、長篠の戦いの時に医王寺の裏山に陣城として築いたものとされている。ここからは、長篠城を包囲した武田軍の陣容を展望することができる。画像に映っている物見台は後から作ったものである。 |
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本堂横にある医王寺民俗資料館には、この地域で使用されていた古い農具や生活用品などの民俗資料が多く展示されている。庫裡には、長篠の戦の時使用した歴史的資料(槍の穂先、矢尻、陣茶釜など)が保存されている。 |