5月13日 |
長篠城瓢郭(ふくべくるわ)を攻めて兵糧庫を奪った。 |
14日 |
武田軍は長篠城総攻撃、それより後は長囲み(食料攻め)の構えをとる。 |
18日 |
織田。徳川軍は設楽(したら)原へ到着し陣地を築き始める。 |
19日 |
武田軍医王寺本陣で軍議。馬場信房はじめ重臣の主張はいれられず設楽原出撃決定。
馬場信房・山県昌景・内藤昌豊・土屋昌次ら4名の将は討死を覚悟して大通寺の泉で別れの水杯をかわした。 |
20日 |
豊川渡河、設楽原へ陣をしく。(小山田は長篠城の押さえ) |
21日 |
設楽原決戦に連吾川上流方面で戦い、武田軍撤退の時に馬場信房は殿(しんがり)をつとめ、勝頼を見送ったのちに織田軍の士に首をあたえたという。 |