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護国山高昌寺は、曹洞宗に属し、本尊は聖観世音菩薩である。境内は、3500uもあって、伽藍の配置は本山永平寺に似ている。特に均整の取れた楼門、唐破風の中雀門、回廊3列の石段、禅堂、勧学寮、鎮守堂などはみごとに互いに調和し、近郷の寺には見ることのできない建築物である。
本堂には、戸・柱・欄間・天井にクス材が使われ、別名を「伊予の楠寺」ともいう。什宝には、大洲藩主加藤泰候公の真筆「大雄殿」の扁額、御開山一代記、涅槃像の大幅、地獄極楽巻物、狩野探幽、常信、曽彌荒助子爵などの筆跡が所蔵されている。
高昌寺の前身をさぐってみると、まず嘉吉元年(1441)のこと、大功円忠大和尚によって、麓川沿いに浄久寺が開創されたが、この後92年を経て天文2年(1533)に、浄久寺が現高昌寺の地に移されてきた。そして当時の領主である曽根高昌公は帰依し、菩提所と定めた。やがて高昌公が死去されると、公の諱をとって「高昌寺」と改称されたのである。時に弘治2年(1556)のことであった。
その後、ながく威容を呈していたが文化4年(1807)になって出火し、堂宇什宝などが焼失してしまった。しかし、文政7年(1823)に再建され今日に至っている。近郷に24か寺の末寺を開創した歴史のある寺である。
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