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健保2年(1214)に浄土宗第二祖の聖光が開いた寺で本尊は阿弥陀如来。元は聖光が向島の三ツ石に一草庵を結んで住んだのがはじめである。慶長年中(1596〜1614)に住職称住がこの草庵で四十八書夜念仏修行をしたとき、その満願の暁方、阿弥陀如来の来迎に逢い、結集と共に入水往生したが、その時結集の中の一人は現世に残ってこの庵を相続せよというので、行欣が残ることになり、慶長8年(1603)現在地の下の山陽線路上の辺に移った。明治24年(1891)山陽鉄道が開通したので、堂舎を現在地に移した。
正面石段の右側には、幕末維新の頃、尾道大阪間の船使を開いた当時の回船問屋武内要助一門の墓があり、左側には「尾道志稿」の著者であり尾道の名門である油屋亀山士綱その他亀山一統の墓がある。 |
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