|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1562年に徳川家康が創建した白土塀の美しい寺で、松平七代清康(家康の祖父)の妹、久子の墓がある。久子は、家康が生母於代と生き別れして以来、家康を養育した人です。
東海道を見下ろす丘陵に建てられた一連の社寺の中でも、幕府の庇護が厚く、城の防衛拠点としての名残を今もよく残している。
<岡崎初期教育施設としての隋念寺>
徳川家康により祖父清康とその妹久子の菩提を弔うために建てられた隋念寺は、明治時代になると本堂を残し、書院と庫裡が額田郡に提供された。明治6年(1873)岡崎小学校がここに移転され、9月には額田郡第一番小学岡崎学校(第二大学区内愛知県管下第八番中学区内)として初めての公立学校となった。明治25年(1892)には町立岡崎高等小学校となり、32年の移転まで使われた。
その後、愛知県第二師範学校附属小学校岡崎町立商業補修学校、同高等女学校の設立時に、短期間ではあるが仮校舎として利用された。
岡崎における明治時代の公的な教育施設として、隋念寺庫裡・書院は唯一当時の姿を残すものとして貴重な遺構である。 |
|
|
|
松平清康・久子の宝篋印塔 |
|