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妙源寺は、正嘉2年(1258)の創建で、開基は河内国安部野から移り在籍領主となった安東薩摩守信平です。三河真宗最初の道場といわれている。三河一向一揆の際には徳川家康が難を避けたとも伝えられており、家康から「源」の一字をもらって、それまでの明眼寺を妙源寺と改めたという。
妙源寺の楼門(2段目右画像)は、外側から鉄筋で補強されておりかなり傷んでいる様子がわかる。
柳堂は、安藤氏が奉持した聖徳太子御直作の尊像を安置した太子堂と伝えられる。創建年代は明らかではないが、4枚の棟札が残されており、現在の堂は、正和3年(1314)から慶長18年(1613)までの再建と考えられる。三間四方、寄棟造、桧皮葺、向拝一間付で、内部は仏壇表に禅宗様須弥壇を置き、その上に一間入母屋造の厨子を安置し簡素な卓縁天井が低く張られている。様式的には15世紀前半(室町時代)になり、浄土真宗寺院の初期の建築様式がよく残る、きわめて貴重な建造物です。(案内文) |
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本妙源寺の墓所には、徳川家の家臣だった本多家や高木家などの墓がある。(本多忠豊、忠高、高木主水、平岩親吉、長坂血槍九郎など) |
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