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華厳宗大本山。聖武天皇の発願により創建され、総国分寺としての格式があった。治承4年(1180)、平重衡の南都焼き討ちにより多くが焼失したが、鎌倉時代に再建されている。その後また焼失したが、江戸中期になって現在の寺観が整った。
金堂(大仏殿)は、東大寺の中心的な建物である。大仏は、高さ15mといわれ何回か修理が行われてきた。蓮弁などに当時のものが残されている。広大な境内に南大門(国宝)、大仏殿(国宝)、鐘楼(国宝)、三月堂(国宝)、二月堂(重要文化財)、転害門(国宝)などが散在し、世界遺産に登録されている。
(次はS.Hさんより) |
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<大仏殿>
聖武天皇の発願で、総国分寺として創建された東大寺。752年、開眼法要が盛大に営まれた。広大な境内に南大門(国宝)、大仏殿(国宝)、鐘楼(国宝)、三月堂(国宝)、二月堂(重要文化財)、転害門(国宝)などが散在する。奈良の大仏としてあまりにも有名である。
(以下は、M.Uさんより) |
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<二月堂>
二月堂は、旧暦の2月に「お水取り」が行われることからこの名がある。この「お水取り」は修二会(しゅにえ)といい、インドの正月に当たる2月に仏の供養をしたことからこの名が生まれたといわれている。「お水取り」は二月堂の本尊である十一面観音に自らの過ちを懺悔して、天下泰平・万民豊楽を祈る法要です。現在は、3月1日から14日にかけて盛大に行われており、1200余年もの間一度も欠かさずに続けらている。
「お水取り」の由来は、二月堂縁起に、「実忠和尚二七ヶ日夜の行法の間、来臨影向の諸神一万三千七百余座、その名をしるして神名帳を定しに、若狭国に遠敷(おにう)明神と云う神います。遠敷河を領して魚を取りて遅参す。神、是をなげきいたみて、其をこたりに、道場のほとりに香水を出して奉るべきよしを、懇(ねんごろに)に和尚にしめし給ひしかば、黒白二の鵜、にはかに岩の中より飛出て、かたはらの樹にゐる。その二の跡より、いみじくたぐひなき甘泉わき出たり。石をたたみて閼伽井とす。」とあるように、魚を採っていて二月堂への参集に遅れた若狭の国の遠敷明神が二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったという。
二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火には焼け残ったが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない秘仏である。建物は国宝に指定されている。
訪れたのは春のうららかな季節であった。近くでは絵を描いている人もあり、その絵を見ながら振り返ったのがこの写真である。 |