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淨教寺は浄土真宗本願寺派に属し、最初、河内国(大阪府)にあり、16世紀に大和国(奈良県)に移ったとされる。在の境内地は、慶長8年(1603)に徳川幕府から寺地として認められたものです。
山門は均整のとれた造りで、各所に動植物・渦・雲等の彫刻を施している。掲示板舎は小規模ながら掲示板の受木(うけぎ)に彫刻を施すなど丁寧なつくりです。いずれも三条通りの歴史的景観の形成に寄与している。
また現本堂は奈良県技師・岸熊吉の設計で、昭和19年上棟、第二次世界大戦の影響で工事は長期化し、同43年竣工した。
本堂前のソテツは、根株の周囲6.5m、一本の株から25本もの幹が出ている珍しいもので、巨樹として貴重です。
近代日本美術の父「アーネスト F・フェノロサ」の講演の地(明治21年(1888)6月5日。
<登録有形文化財>
・淨教寺山門(江戸末期) ・淨教寺掲示板舎(昭和8年)
<奈良市指定文化財>
・淨教寺のソテツ |
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