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総国分寺の「東大寺」に対して、法華寺は、天平17年(745)光明皇后が総国分尼寺(門跡尼寺)として藤原不比等(光明皇后の父)の邸宅跡に創建した尼寺です。法華寺は、詳しくは法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)といった。 |
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法華寺の本尊は十一面観音像で、本堂の厨子内に安置されている。光明皇后がモデルと伝えられている。右手を真っ直ぐ下に伸ばし膝まで届く姿が印象的な姿です。 |
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護摩法要の舞台となる護摩堂は、池の中に建てられている。不動明王坐像が祀られていた。室町時代に倒壊したが、平成16年(2004)に再建された。 |
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この浴室は古くから「からふろ」と呼ばれ法華寺本願光明皇后が難病者たちに入浴の恵みをたれ給うところである。傍らの井戸は常に清らかな水をたたえ、この浴室の伝統は井戸とともに古い由緒を伝えている。
浴室の内部は2部屋になっていて両方共にむし風呂になっている。近年まで利用されていた。
唐破風をつけた内部の古い様式や敷瓦の遺構には昔の面影が偲ばれる。平成15年(2003)7月に半解体修理が完成した。(国指定重要有形民俗文化財) |
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光月亭、もと東谷家住宅で昭和46年(1971)に奈良県添上郡月ヶ瀬村(現在は奈良市に編入)から法華寺に移築された。東谷家は以前庄屋を務めた家柄です。この住宅の建築年代は明らかではないが、構造手法から18世紀に建てられたものと推定できる。
規模は、桁行5間半・梁間4間半で、間取りは正形四間取となり、前面土間側より「しもの間」、その上手を「かみの間」、背面側「だいどころ」「なんど」からなる。
土間右手の部屋は、もと「うまや」であったが、今回物入れに変更したが、ほとんど当初の形態を残し、東山地方の代表的な民家で貴重なたたものである。(奈良県指定文化財) |
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法華寺は、真言律宗に属したが、現在は光明宗である。江戸初期に仙洞御所より賜ったという紅梅が咲く。 |