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元興寺は、蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺(飛鳥寺)がその前身である。平城遷都(710)にともなって、蘇我氏の氏寺から官大寺に性格を変え、新築移転されたのが元興寺です。真言律宗。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に指定されている。
かつての元興寺は、南部七大寺の一つとして、現在のならまちの全てが境内地に入るほどの広大な寺院であった |
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<重文 東門>
この門は鎌倉時代の建物として、雄大な気風と、すぐれた意匠をもつ四脚門である。もと東大寺西南院にあった門を、元興寺の極楽坊正門として応永18年(1411)この場所に移築されたものである。東門の設置により極楽坊本堂を中心とする一画が元興寺旧伽藍から独立した中世寺院として再生したことをしめしている。 |
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<国宝 極楽坊本堂>(極楽堂または曼荼羅堂)
この堂は元興寺東室南階大坊(僧坊)の一部であり、本邦浄土六祖の第一祖である智光法師が感得した浄土曼荼羅を本尊とし寄棟造に大改築された極楽坊本堂である。極楽堂、曼荼羅堂とも呼ばれ、智光の住房が前身という。
古来浄土発祥の聖堂として名高く、内部柱に念仏講の寄進文がある。堂の外観は寛元2年(1244)改修時の姿であるが、内陣に奈良時代僧房の身舎部を残し、西流れの屋根に見る行基葺古瓦は当寺の前身飛鳥寺から移建の際に運ばれたものである。 |
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<国宝 極楽坊禅室>(僧坊)
この堂は元興寺東室南階大坊の四房分が残った僧坊で、禅室とも呼ばれ、念仏道場として著名であった。鎌倉時代に改築され大仏様式の手法を軒廻りによく残している。主要な構造部材及び礎石は奈良時代の創建当初のものが残り今も用いられている。
奈良時代の官大寺僧坊遺構を伝え、内部の間取りに奈良ー鎌倉時代僧坊の面影をよく残す貴重なものである。本堂と同様に南流れの屋根の一部に行基葺古瓦が残る。古瓦には最古の丸瓦、平瓦を含め飛鳥時代から奈良時代のものも伝世している。 |
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<浮図田>(ふとでん)
2千五百余基の石塔、石仏類(総称して浮図)は、寺内及び周辺地域から集まったもので、新たに田圃の稲の如く整備した。板碑五輪塔を中心とした供養塔、阿弥陀仏地蔵尊等の石仏類からなり、鎌倉時代末期から江戸時代中期のものが多い。
中世期に当寺や興福寺大乗院関係の人々、近在の人達が浄土往生を願って、極楽坊周辺に減罪積徳作善のため造立した供養仏塔である。
毎年8月23、24日の地蔵会の際に過去聖霊の追善を祈り、結縁者の家内安全を願って万灯供養が行われ、古式の地蔵会として南都の風物詩となっている。(昭和63年修景整備) |
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<元興寺講堂跡礎石>(奈良時代・上左画像)
境内西側の中新屋町で平成10年に発掘されたもので、本来の位置は保っていなかったが、出土場所や礎石の規模などから、元興寺講堂に使用されたものと考えられる。
礎石は長さ1.5mから1.1m、幅1.2mから1.6m、厚さ0.7mから1.2m、90cmの柱座が造りだされている。礎石の石材は三笠安山岩で、通称カナンボ石と呼ばれる硬質の自然石を利用している。
創建当初の講堂は、間口11間で丈六薬師如来坐像を本尊とし、脇侍二躰、等身十二神将が安置されていたと伝えられる。
元興寺の主要伽藍は境内にのこる僧坊(禅室)を除いてすべて失われたが、礎石から創建当時の元興寺を偲ぶことができる。
<佛足石>(上右画像)
佛足石は、釈尊の足跡で仏陀を顕す古い信仰形態をしめしている。2千年程前のスリランカで創られた図を基に復元した今の生身佛として、日本・スリランカ友好親善の記念の2012年10月8日に造立された。 |
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極楽坊本堂や禅室の屋根の一部に見られる古瓦。屋根は行基葺きという葺きかたがしてあり、円瓦の一方がすこしずつ細くなっているのを段々に重ねて葺く方式で、飛鳥寺創建時の瓦の一部が今でも使用されている。飛鳥寺の瓦は、百済の専門職人が技術を伝えできた日本最古の瓦で、縄を巻き付けた棒でたたいて瓦を成形した跡もある。
瓦は、作られた年代により色が異なり、赤褐色・黒系は飛鳥時代、白系は奈良時代、灰色系は昭和時代となっている。 |