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<きうり弘法の由来>
弘仁元年(810)の夏、弘法大師が河内国(大阪府)の高貴寺に仮寓して聖徳太子廟に百日間の参詣を志し96日目の夜、廟内から大般若の心を説く微妙な声が流れてきた。「その声はどなた様か、私にお教え下さい。」と大師がお願い申し上げると、「我ハ光明遍照高貴徳王大菩薩デアル。衆生ヲ救ワンガタメ降臨シタモノデアル」と声がして廟前が光明し、右手に金剛棒を左手に宝珠を奉持された菩薩の尊容が映しだされた。
金剛棒は諸人の悪事災難を砕き、宝珠は衆生に福徳を授くといわれ「空海ヨ汝ノ願ヲ聞キ入レルカラ我ヲ礼拝供養セヨ」と申された。大師直ちに尊容を刻して「高貴徳王菩薩」の名をとり「高徳院」と称する寺を創建し、この尊像をまつり高弟智泉大徳に與えた。
智泉大徳はこの菩薩の教えに従い、病人に対してきうりを奉献し快癒加護の祈祷をされたところ、不思議に多くの病人が一度に声をあげ忽ちに全快したと伝えられる。その後この高徳院の法灯は綿々として今日に伝わり、参詣人の災厄病魔の身代わりとして「きうり弘法」の名で広く知られるに至った。 |
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毎年7月土用丑の日が大祭日(きゅうり祭)です。一本一本のきゅうりに名前などを書き、一年の無病息災を祈る。高徳院は真言宗の寺院です。
すぐ近くに桶狭間古戦場がある。境内に今川義元本陣跡の石碑がある。なお、桶狭間の戦いの当時には、高徳院は存在していない。 |
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