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慶長18年(1613)可睡斎第十三世士峯宋山大和尚は徳川家康から朱印二十石を拝領して当寺に隠居した。それ以前は「善生寺」という寺号であったが家康が「全生寺」と号した。家康の命により可睡斎十一世仙麟等膳大和尚は弟子である可睡斎十二世一株禅易大和尚・士峯宋山大和尚とともに正堂築山御前(織田信長によって幕命した今川義元の姪)の魂に戒を授け怱ち成仏させた。以来、三僧への家康の信頼はさらに深まった。
天下平定の後、可睡斎の宋山和尚は東海大僧録として遠江・駿河・伊豆・三河の曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹と同等の権威を持つに至り十万石大名の待遇であった。当寺へ隠居後、還化(1635)するまで可睡斎から使僧が立ち、下馬駐篤させたと伝えられる。
戦後、高僧の参道は削られ現在地より100m程南(現消防小屋)にあった下馬札の石も移動した。そしてこの度、此処に安置し末永く伝えるものとする。 |
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