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<法堂>(はっとう)
当山は応永18年(1414)の開創で、元能登大本山総持寺五院列祖の大源派の派頭にて、全国三千有余の末寺を有している。明治9年(1876)までに3回の野火火災にあい七堂伽藍を焼失再建されて現在に至っている。
本尊は麻蒔(あさまき)地蔵尊です。尚、脇仏として子年(ねづみどし)の人を一生守って下さる千手観世音菩薩を祀ってある。 |
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<僧堂>
坐禅堂、雲堂とも呼ばれ、寺院の七堂伽藍の一つで、雲水の修行する道場です。三黙の道場とも云われ風呂場、便所と共に大切な所です。この建物は昭和18年(1943)再建されたものです。 |
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<真殿>
当山の開山梅山聞本禅師、二祖恕仲(じょちゅう)天ざん禅師の尊像を安置してあり、この建物は明治14年(1881)大上地区の麻蒔堂を移築したものです。この堂の中には、「消えずの灯明」があり、新年の餅焼はこの火を分けて参詣者の厄除開運、身体健全を祈るものです。 |
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<鐘楼堂>
六百余年の昔よりここ橘谷(きっこく)の山々に朝な夕な妙音をこだましていた梵鐘も、3度の火災で焼失、第二次世界大戦では供出し現在の鐘は昭和24年(1949)鋳造されたものです。堂は明治9年(1876)に再建されたものです。 |
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<鎮守堂>
当山二祖、恕仲天ざん禅師三河の小松原の観音堂に参籠中一夜老人現れ「御僧の願う勝縁の地は東方遠州飯田の郷なり」と告ぐ、後に飯田に至り寺を建立す、これ現在の崇信寺なり。次いで大洞院(だいとういん)を建立し、この霊験により馬頭観世音菩薩を鎮守となす。 |
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<山門跡>
当山は応永18年(室町時代後小松天皇、1414年足利4代将軍義持公代)の開創、文明7年11月野火、天正12年1月野火、明治9年(1876)4月野火にて3度火災にあい、七堂伽藍の山門も柱石を残すのみです。 |
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大洞堂にある「森の石松」の墓。大洞院は別名「森の石松の寺」として知られる。 |