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興福寺は、「長崎三福寺」(興福寺、福済寺、崇福寺)のひとつで、中国人がキリシタンでないことの証と唐船の航海安全の神、媽祖(まそ)を祀る寺として創建された。
興福寺に最初に建てられた山門は、寛文3年(1663)に起こった市中大火により類焼した。現存するこの山門は、元禄3年(1690)に再建されたもので、構造は三間三尺八脚門の入母屋造で、単層屋根・総朱塗となっている壮大な門です。細部は和風であり、日本人工匠の手によるものです。
この地は、承応3年(1654)中国から来朝した隠元禅g(いんげんりゅうき)の初登の地であるため、山門の背面梁上に、隠元筆による『初登宝地』(しょとうほうち)の扁額がかかっている。
<興福寺寺域>
興福寺は、元和6年(1620)に創建されたわが国における最初の唐寺です。開基は江西省出身の眞圓(しんえん)、寺地は元欧陽氏の別荘であった。眞圓は寛永12年(1635)まで住職を務め、その後、二代目には眼鏡橋を架けたたといわれる黙子如定(もくすにょじょう)が住職に就いた。
承応3年(1654)三代逸然性融は、新しい禅宗の日本への伝来を熱望し、福建省黄檗山万福寺の隠元禅師を招き、隠元を住職に推薦し、自らは監寺に下がった。明暦元年(1655)、隠元禅師が東上すると、翌2年正月から中興二代澄一道亮(ちんいどうりょう)が住職を勤めるようになった。
興福寺は、臨済宗黄檗派(明治9年から黄檗宗)発祥の地として記念すべき地となっている。 |
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