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<慈眼堂(中院観音)>
清涼寺から西へのびるこの前の道は愛宕道で、西側の一帯が中院である。
12世紀の末、藤原定家(1162〜1241)は中院に山荘を構え、嵯峨の自然を愛してしばしばこの地を訪れた。
慈眼堂(じげんどう)の本尊である「木造千手観音立像」は、付属する古文書によると藤原定家の念持仏で、定家の没後、子の為家(1198〜1275)が伝領し、為家からこの地の人々に与えられたものと伝え、長くこの地の豪農浜松屋善助屋敷内の堂に祀られていた。
像は寄木造り、漆箔、彫眼の技法によって制作されており、もの静かな面相と程よい肉身に、小づくりの脇手を配している。保存状態は良く、天衣の体から遊離した部分や、微細な脇手持仏の一部までも残っている。
本像は、仁治2年(1241)80歳で亡くなった藤原定家の念持仏とする伝承にふさわしく、12世紀後半の洋風を伝えるもので、鎌倉時代初期(12世紀末〜13世紀初頭)における藤原風の美作として貴重なものであり、昭和60年(1985)6月1日京都市指定有形文化財に指定された。
なお、慈眼堂では中院の人々が毎年正月14日の夜から15日の日出まで「日待」(ひまち)の行事を行い、また、定家、為家の法要も営んでいる。 |
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