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神護寺は、平安京造営(794〜)の最高責任者、和気清麿(和気清麻呂)が今の愛宕神社の前身、愛宕山白雲寺などとともに建てた愛宕五坊の一つです。「高雄山寺」と呼ばれたが、天長元年(824)、高雄山寺は河内(大阪府)の神願寺(清麿公創立)を合併し「神護国ソ真言寺」と称したそうです。和気一族は、叡山の最澄(伝教大師)や空海(弘法大師)をこの寺に招いて活躍の場とされたため、時の仏教界に新風を送ることとなり、平安仏教の発祥地となった。
神護寺初代の弘法大師は、中国の唐より帰朝後、大同4年(809)から14年間住持し、真言宗立教の基礎を築いた。のちの東寺や高野山金剛峰寺と並ぶ霊刹として名高い。現在の諸堂は、弘法大師の住房であった大師堂(重要文化財)を除き、全て応仁の乱で焼失したため、江戸時代以後に再建されたものである。銘文で有名な銅鐘(国宝)は三絶の鐘と呼ばれ、日本三名鐘の一つに数えられる。厄払いとして「かわらけ投げ」が出来る。(パンフレットより) |
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