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華西山東漸院と号する浄土宗の寺で、境内には付近から出土した多数の石塔や石仏が立ち並んでいる。化野は古くから鳥辺野、蓮台野とともに葬地として知られ、
誰とても とまるべきかは あだし野の 草の葉ごとに すがる白露 |
という西行の歌にもあるように「化野の露」は、人生の無常の象徴として和歌などで広く使われている。
あだし野は化野と記す。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往生する願いなどを意図している。
この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所である。 |
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寺伝によれば、弘仁年間(810〜824)に空海上人(弘法大師)はこの地に葬られた人々を追善するため、小倉山寄りを金剛界、曼荼羅山寄りを胎蔵界と見立てて千体の石仏を埋め、中間を流れる曼荼羅川の河原に五智如来の石仏を立て、一宇を建立して五智如来寺と称したのが始まりといわれている。当初は真言宗であったが、鎌倉時代の初期に法然上人の常念仏道場となり浄土宗に改められ、念仏寺と呼ばれるようになった。
正徳2年(1712)寂道上人が再建したといわれている本堂には、本尊の阿弥陀如来座像が安
置されている。
兼好法師の徒然草に
あだし野の露消ゆる時なく鳥部山の烟立ちさらでのみ住果つる習ならば如何に物の哀もなからん世は定めなきこそいみじけれ |
としるされ、式子内親王は、
暮るる間も 待つべき世かはあだし野の 松葉の露に嵐たつなり |
と歌い、人の命のはかなさをを詠んでいる。 |
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境内にまつる八千体を数える石仏・石塔は往古あだし野一帯に葬られた人々のお墓である。
何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだし野の山野に散乱埋没していた石仏を明治中期、地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々をなぞらえ配列安祀してある。
この無縁仏の霊にローソクをお供えする千灯供養は、地蔵盆の夕刻よりおこなわれ、光と闇と石仏が織りなす光景は浄土具現の感があり、多くの参詣がある。
これはこの世の事ならず死出の山路のすそのなるさいの河原の物語……
もどり児が河原の石をとりあつめこれにて廻向の塔をつむ
一重つんでは父の為二重つんでは母の為……
とあるように、嬰児が一つ二つと石を積み上げた河原の有様を想わせる事から西院の河原という。
毎年8月23、24日に行われる「千灯供養」では、八千体にも及ぶ無縁の石仏等に灯が供えられ、多くの参詣者で賑わう。
<豆腐>
信仰ははお豆腐のようになることです
豆腐は煮られてもよし 焼かれてもよし揚げられてもよし
生で冷奴でご飯の菜によし 湯豆腐で一杯酒のさかなによし
柔らかくて老人病人のお気に入り 子供や若い者からも好かれる
男によし女によし 貧乏人によし金持によし
平民的であって気品もあり 上流へも好かれる
行儀よく切って吸物となり 精進料理によし
握りつぶして味噌汁の身となり 家庭料理に向く
四時春夏秋冬いつでも使われ 安価であってご馳走の一つに数えられ
山間に都会に……ドコでも歓迎せられる
貴顕や外客の招宴にも迎えられ 簡単なる学生の自炊生活にも喜ばれる
女は特に豆腐のようでなければいかぬ
徹した人は豆腐の如く柔らかくてしかも形を崩さぬ
味がないようで味があり 平凡に見えて非凡 |
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<先祖と向き合い対話する>
苦しい事や辛い事があったら先祖の宿題と思え
先祖の宿題には知恵で乗り切れ それが答えだ
どんな事があっても人のせいにするな
答えは感謝する事だ
先祖はおまえに望みをかけていると思え
宿題が多ければ多いほど家族が幸せになると思え
先祖はおまえを一族の代表者と認めたと思え
宿題は100点を取ってほしい
100点を取れば家族は幸せになれる |
<六面体地蔵>
お地蔵様はあらゆる所におまつりされてあり一番身近に拝むことのできる仏様です。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道の六つの世界を六道といいます。この六面六体地蔵はそれぞれにお地蔵様が居られ人々を救われる姿を現したものです。水をかけてお参りしていただくのは、水によって罪障を洗い流していただく意味が込められています。
天道から人道へ時計の針が回るように順々あまいりしてください。お地蔵様を拝む時「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」と言っておまいりします。 |
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<俗世間 つもりちがい十ケ条>
一 高いつもりで 低いのは 教養
二 低いつもりで 高いのが 気位
三 深いつもりで 浅いのは 知識
四 浅いつもりで 深いのが 欲
五 厚いつもりで 薄いのは 人情
六 薄いつもりで 厚いのが 面の皮
七 強いつもりで 弱いのは 根性
八 弱いつもりで 強いのが 我
九 多いつもりで 少ないのは 分別
十 少ないつもりで 多いのが 無駄 |
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秋の化野念仏寺の景観。境内の石塔、石仏は室町時代の頃のものが多い。
わらわれて わらわれて えらくなるのだよ
しかられて しかられて かしこくなるのだよ
たたかれて たたかれて つよくなるのだよ
子供しかるな来た道だ。
年寄り笑うな行く道だ。 |
(寺のパンフより) |