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青蓮山と号し、真言宗東寺派の寺で、俗に「松原不動」という。
持統天皇5年(691)に、道観大徳が開基した法相宗の寺であったが、のち弘法大師が自作の「石仏不動明王」を安置してから現宗に改まったといわれている。平安京造営の時に、桓武天皇は王城鎮護のため平安京の東西南北の四つの磐座(石蔵)に経巻を収めたが、明王院はその四岩倉の一つで、「南岩倉」と称したと伝えられている。
天暦年間(947〜957)、賀茂川氾濫に遭い、堂舎はことごとく流没し、一時比叡山の庭莚法師によって再興されたこともあったが、応仁の乱で荒廃し、石像も塵芥の中に埋もれてしまった。
天正年間(1573〜1592)、豊臣秀吉は聚楽第の造営に際し、ここから苔むした本尊不動明王を得て、聚楽第に収めたところ、夜な夜な不思議な光を放ったので、霊験を感じ、旧地に堂舎を建立し、これを再び奉安したという。 |
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