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真宗大谷派の本山で、真宗本廟といい西本願寺と区別して一般に東本願寺と呼ばれ、「お東さん」の愛称で親しまれている。正式には真宗大谷派本願寺という。本願寺は文永9年(1272)宗祖親鸞のむすめ「覚信尼」(かくしんに)が、東山大谷の地に仏堂を建て、親鸞の御影を安置した時に始まるが、室町時代第8代「蓮如」の時代に教団は飛躍的に発展し、戦国時代には大きな勢力となって織田信長にも対抗した。豊臣秀吉は、六条堀川の地に本願寺を再興し、ついで徳川家康は慶長7年(1602)この地を寄進し、第12代「教如」(きょうにょ)が堂舎を建てて本寺が始まった。 |
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堂舎は、その後たびたび火災にあい、現在の建物はいずれも明治時代からの再建であるが、真宗寺院の典型的な様式と配置を示している。東西200m、南北400mの広大な敷地には巨大な伽藍が立ち並んでいる。親鸞の御影を安置する御影堂(ごえいどう)は阿弥陀堂よりも大きく造られて中心をなし、高さ38m、正面の幅76m、内部は927畳の大広間であり世界最大級の木造建築です。(竣工は明治28年)御影堂門は、知恩院三門、南禅寺三門とともに京都三大門の一つとなっている。
寺宝には親鸞直筆の教行信證(きょうぎょうしんしょう、国宝)、紙本著色本願寺聖人伝絵(重要文化財)等の文化財のほかに両堂再建に使われた「毛綱」等多くを蔵している。なお、廟堂は円山公園横にあり、納骨はこちらで行われる。 |
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<堂内などに掲げられていた言葉>
○ 人間は一生を通して 誰になるものでもない 自分になるのだ
○ 道は近くにあり 迷える人は それを遠くに求む
○ 助けるのは 如来の仕事です 助かるのは 我われの仕事です
○ いざというときには という人がいる 力いっぱい生きる時は 今なのに
○ 亡き人を案ずる私が 亡き人から案ぜられている
○ 一本の草さえ 生きねばならぬ 使命をもっている
○ 人間は生きているのではなく”生かされている”のです。 |