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浄土宗大本山。法然上人が比叡山の黒谷を下り、初めて草庵を結んだ地。
<御影堂>
御影堂(大殿)雲山黒谷金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は法然上人ゆかりの地。
内陣正面には法然上人七十三歳三昧発得のお姿をお祀りしている。以前の御影堂は昭和9年(1934)に火災にて全焼、すぐさま再建に取りかかり、京都大学名誉教授天沼俊一博士の設計にてお堂の中が明るく、音が響くように木の一本一本に付いても吟味され、昭和19年(1944)に落慶致した昭和時代の代表的な木造建築と言われている。
<阿弥陀堂>
当山の諸堂の中では一番古いお堂で、慶長10年(1605)豊臣秀頼が再建。本尊は、恵心僧都源信の最後の作と伝えられている阿弥陀様がお祀りされている。
本尊の名の由来は、恵心僧都源信が仏像彫刻に必要な「のみ」をお納めになって仏像彫刻を止められてと言うので「のみおさめの如来」又は「お止めの如来」とも言われている。
<山門>
山門は江戸幕府の命により文政11年(1828)再建にとりかかり萬延元年(1860)12月に落慶されたものである。古くは当寺九世定玄上人の時代(1398〜1415)應永年中に建立されたが應仁の乱にて兵火に罹り焼失し、約350年後に再建された。山門楼内壇上正面には等身座像の釈迦三尊(釈迦・文殊・普賢)と十六羅漢の像が安置されている。
山門楼上の勅額「浄土真宗最初門」は、後小松天皇(在位1382〜1412)の宸翰(しんかん)で元祖法然上人が最初に浄土の教えの真実義を弘められた念仏発祥の地との意を賜わったものである。尚、東西本願寺・仏光寺などの宗派名を表わすものではない。 |
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<江の供養塔>
江は、浅井長政と織田信長の妹お市の方の間に生まれた。江は織田信長の姪にあたる。長姉は茶々(淀殿)、次姉はお初(京極高次の正室)です。後に茶々(淀殿)は秀吉の側室、江は、徳川二代将軍秀忠の正室となる。秀忠との間に、家光・忠長のふたりの息子と5人の娘が生まれている。 |
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