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<宝泉院縁起>
平安初期、比叡山に天台仏教を開いた最澄の高弟・円仁が唐に渡り、十余年間の仏教修学を終え、帰国し、叡山に密教、五会念仏、等またその法要儀式に用いる仏教音楽「声明」を伝えた。
後、長和2年(1012)寂源は大原寺(勝林院)を創建し、法儀声明を盛んにした。
平安末期、良忍が出るに及んで大原は、法儀声明の修学地(声明の里)として有名になる。
当院は、大原寺(勝林院)住職の坊として平安末期頃よりの歴史をもち、現在に至っている。
<建物>
室町時代文亀2年の再建といわれるが、建物等の形式からみて江戸初期頃の再建だと思われる。
<額縁庭園>
客殿の西方、柱と柱の空間を額に見立てて鑑賞する。竹林の間より大原の里の風情を満喫できる。庭の名前は盤桓園(立ち去りがたい意)と称する。
<丁度よい>
お前はお前で丁度よい
顔も身体も名前も姓も お前にはそれで丁度よい
貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも 哀しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は 悪しくもなければ良くもない お前にとって丁度よい
地獄に行こうと極楽に行こうと 行ったところが丁度よい
卑下する要もない 上もなければ下もない 死ぬ月日さえも丁度よい
仏さまと二人連れの人生 丁度よくないはずがない
南無阿弥陀仏 |
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<宝泉院のゴヨウマツ>
このゴヨウマツは、樹高11m、枝張り南北11.5m、東西14mのほぼ扇形の樹冠をしている。周囲の竹林は、冬の季節風を防いでおり、この木の生育を保全するのに役立っていると考えられる。
根回りは4.25mで、幹は3本に分かれている。3本の幹の中で、中央の幹が一番大きく、樹冠のかなりの部分を占めている。この幹は、高さ4m程ところで大枝に分かれ、さらにその上で小さな枝に分かれ、みごとな樹冠を形成している。
樹形が極めて優れており、樹勢も旺盛でありゴヨウマツの大木として貴重なものである。(京都市登録天然記念物) |
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<血天井>
書院廊下の天井は、伏見城の落城の時の遺物で、慶長5年9月8日、徳川家康の忠臣・鳥居元忠の一党(370人)が石田三成の軍と交戦し、武運拙く伏見城で自刃した時の板の間を天井にしてその霊を弔ったもので血天井と称している。 |
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<鶴亀庭園>
江戸中期作、部屋の中から格子ごしに鑑賞する。池の形が鶴、築山が亀、山茶花の古木を蓬莱山と見る名園である。
<水琴窟>
不思議なる生命原理とその働きが一つとなって有る。現実の大調和の慈悲と知恵の世界を理智不二という。左右二つの異なる水琴窟の妙音を通してこの調和の心を体感する。 |
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<囲炉裏の部屋>
炉の周りに陶板をあしらった部屋。窓越しの庭の景観に心落ち着く。
<抹茶>
入場料の中に含まれている抹茶。(入場料は800円・平成23年現在) |