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聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)と号する浄土宗西山禅林寺派の総本山で、正しくは無量寿院禅林寺という。
中興の祖・永観律師(ようかんりっし 1033〜1111)にちなみ、広く「永観堂」と呼ばれている。平安後期の1082年2月15日未明、念仏を唱えながら本堂を歩く修行をしていた永観の前に、本尊の阿弥陀如来が一緒に加わった。夢ではないかと立ち止まる永観に、阿弥陀如来は後ろを振り返り「永観、遅し」と発したと伝えられる。その姿を仏像にした「阿弥陀如来像」(重要文化財)は、首を左に向けて微笑みを湛(たた)える珍しい逸品で、「みかえり阿弥陀」として親しまれる。
鎌倉時代中期には浄土宗西山派開祖・證空(しょうくう)の弟子・浄音が住持となり、浄土宗一派の本山の基礎を固めた。その後、応仁の乱により堂宇が焼失したものの、明応6年(1497)に後土御門天皇の命により再興され、以後逐次諸堂が再建され、現在の伽藍が整えられた。
国宝の「山越阿弥陀図」をはじめ、「当麻曼荼羅図」など重要文化財の寺宝を多数所蔵する。 |
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もみじの永観堂として知られ、秋には色鮮やかな紅葉が見られる。 |
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