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<本堂>(西来堂)
「苔寺」の名で知られる西芳寺は、1200余年前聖徳太子により創業され行基菩薩を開山としたが夢窓国師の中興により禅宗に改められた。応仁の乱の戦禍により本堂は焼失し、その後歴代住職の勧進により昭和44年(1969)5月その悲願が達成された。
本堂は木造銅板葺寝殿造り様式、総面積800平方m、総尾州ヒノキ造りとして昭和大工技術の粋をあつめた。工期3年3ヶ月を要し、その間約7000人の工匠が工事に携わり、その他屋根師等多数の諸工がこれを助けた。
西来堂はその昔庶民信仰の道場であったが、落慶法要の直前、ご本尊「阿弥陀三尊像」が霊夢によって306年ぶりに姿を顕された。まことに心願成就の道場といえよう。
内部襖絵は、堂本印象画伯の手になるもので遍界芳彩、夢窓慈恵の図等百四画が配されている。 |
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<西芳寺(苔寺)>
山号を洪隠山(こういんざん)といい、臨済宗に属する。平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。
奈良時代、聖武天皇の詔により行基が開山した古刹で、平安時代初期には弘法大師が一時住し、鎌倉初期には法然上人が中興して、浄土信仰の道場としたと伝えられている。
兵乱での荒廃の後、暦応2年(1339)に後醍醐天皇、足利尊氏の深い帰依を受けた夢想国師(疎石)により再建され、禅の厳しい修行の道場となった。
120余種の青苔に一面が覆われ、広く「苔寺」の名で親しまれている。 |
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夢想国師自ら作庭した、枯山水石組みの上段の庭と、心の字を形どる黄金池を中心とした池泉回遊式の下段の庭成る庭園は、当時既に天下の名園として名高く、足利義満をはじめここを訪れて座禅に励んだ人も多い。
現在、3万5千平方メートルに達する庭園(国の特別名勝及び史跡)は、よく昔の面影を伝える名庭とうたわれている。 |
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この庭園は、建築と庭園との一体化、確実な手法の石組み、眺望という視点など、前代までのものにはみられない形式が取り入れられており、鹿苑寺庭園、慈照寺庭園をはじめ後世の庭園に大きな影響を与え、日本庭園史上重要な位置を占める。 |
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茶室湘南亭(重要文化財)は、千利休の二男少庵が桃山時代に建築した物で、明治維新の際に岩倉具視が一時隠棲したこともある。 |
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西芳寺は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録された。
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