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初め推古天皇の御代大和国宮田郷に建立され、瑠璃光山利生院大福寺という。室町時代の初めに京都に移されたという。
天台宗の寺で朝家の尊信極めて篤かったが、天明年間に炎上して今は僅かにその面影をとどめるばかりである。本尊菩提薬師は聖徳太子の作といい、京都12薬師の一に数えられる。
毎年正月には、商家の大福帳に宝印を授興する習わしである。境内には幕末勤王の志士梅田雲濱の遺蹟がある。雲濱は若狭の人でつとに尊王の志を抱き京に出て同志と交え国事に奔走したが、安政の大獄に吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等と共に捕えられた。この遺蹟は雲濱が仮寓して妻女を迎えたところである。 |
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