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<正伝寺>
正伝寺は、吉祥山と号し、その創建は鎌倉時代にさかのぼる。寺号は正伝護国禅寺という。臨済宗南禅寺派。国の重要文化財に指定されている本堂(方丈)は、入母屋造、こけら葺きで、寛永年間(1624〜1644)に伏見城の御成殿と称せられていた遺構を、承応2年当山に移建して本堂とした。本堂の襖絵は、桃山時代の絵師・狩野山楽の筆になる逸品である。 |
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本堂前庭は、白砂敷にサツキを中心とした三群の刈り込みを配した枯山水で、土塀越しにのぞまれる比叡山が美しい姿を見せている。この庭園は、京都における代表的な借景庭園として、昭和60年(1985)6月1日、京都市指定名勝とされた。
<獅子の児渡し庭園>
白砂敷平庭でサツキの刈り込みによって七五三調を表現した枯山水ではるかに比叡の霊峰を取り入れた借景式の庭園で、その枯淡な風格は禅苑の心のしずけさをを味わしめるものがある。 |
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<血天井>
方丈の広縁の天井は関ヶ原の戦いの直前、伏見城に立て籠もった徳川方の重鎮・鳥居彦右衛門元忠以下千二百余名がその落城の際、割腹し果てた廊下の板を天井としたものである。今なお板上に残るおびただしい血痕は当時の悲惨な武士道を物語っている。
最近血液学の権威として知られる古畑種基博士の研究によって、368年以前の人間の血液であると云い伝えているこの斑点より反応のある科学的証明をされた。
今日菩提追善の念を新たにするもである。 |
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<蒙古降伏祈願文>重要文化財
元寇の国難に際し、文永7・8年の両度東巌慧安禅師は自ら八幡大菩薩の宝前に至心をこめた祈願文を捧げた。
末の世のすへの末まで我国は
よろずの国にすぐれたる国 |