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<大仙院>
大徳寺の塔頭の一つで、大徳寺北派の本庵である。永正6年(1509)に六角近江守政頼の子・古嶽宗亘(こがくそうこう・大徳寺76世住職)を開祖として創建された。
本堂(方丈)は創建当時の建物で、内部の床の間と玄関は日本最古といわれ、方丈建築としても最も古い遺構の一つとして国宝に指定されている。書院も入母屋造で重要文化財である。
相阿弥(そうあみ)の山水画、狩野元信の四季花鳥図、狩野之信の四季耕作図(全て重要文化財)など、襖絵は室町時代の名作障壁画として名高い。
庭園は、室町時代の枯山水を代表する名庭といわれ、狭い庭に白砂と無数の岩石を配して、山と滝と渓流を見事に表しており、国の史跡及び特別名勝に指定されている。
歴代和尚には、千利休と懇意にしていた古渓宗陳(こけいそうちん)和尚、紫衣(しえ)事件で徳川幕府に一歩も退かなかった澤庵宗彭(たくあんそうほう)和尚がいる。 |
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別の機会に再訪する。
大徳寺の塔頭は21ある。大仙院以外の塔頭を次に記載する。 |
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<芳春院>
当院は、慶長13年(1608)、加賀の前田利家の夫人芳春院が、玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開祖として建立した大徳寺の塔頭で、前田家の菩提寺である。建物はその後火災に遭い、現在の本堂は明治初年に建てられたものである。
本堂背後には、飽雲池を前にした二重の楼閣呑湖閣があり、金閣、銀閣と同様、樓閣山水庭園として名高い。呑湖閣は、元和3年(1617)に前田家の子利長が、小堀遠州に依頼して建てたものと伝えられる。池の上に架かる打月橋には、開祖玉室の筆による「打月」の二字の額を掛けている。池中には、かきつばたやすいれんが多く、花時は見事である。庭園は度々改造されてはいるが、なお創建当時の面影を伝えている。
墓地には、芳春院の霊屋、かの東寺百合文書の整理を行った前田綱紀の霊屋をはじめ、前田家代々の墓がある。 |
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<真珠庵>
大徳寺の塔頭で、永享年間(1429〜1441)、一休禅師(宗純)を開祖として創建されたが、応仁の乱で焼失し、延徳3年(1492)、境の豪商尾和宗臨によって再興された。
方丈は寛永15年(1638)の建立で、内部の水墨画「山水図」、「花鳥図」は室町時代の曽我蛇足の作、障壁画「商山四皓図」、「蜆子猪頭図」は桃山時代の長谷川等伯の作といわれている。書院の通僊院は、正親町天皇の女御の化粧殿を移築したものといわれ、金森宋和好みの茶室、庭玉軒が付属する、庭園(国の史跡及び名勝)は方丈の東庭、南庭及び通僊院庭園があり、東庭は室町時代の作とされ、石組みの配列から「七五三の庭」と呼ばれている。
寺宝として、国宝の大燈国師墨蹟をはじめ、紙本著色苦行釈迦像、墨渓筆の紙本墨画達磨像など、多数の重要文化財を蔵している。また、境内には、茶道の祖、村田珠光の墓がある。 |