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<茶くれん寺> 太閤ゆかりの史跡 湯たく山 茶くれん寺
天正15年(1587)、豊臣秀吉が「北野大茶湯」に向かわれる折、当院に立ち寄られ茶を所望された。自分の未熟な茶を振る舞うのを無礼に思った住職は、井戸に湧き出る銀水をそのまま味わっていただこうと白湯を献じた。
一方の秀吉は、お茶を頼んでも頼んでも出てくるのは白湯ばかりで驚かれたが、そのうちに住職の想いを悟られてお笑いになりながら「この寺では、お茶を頼んでいるのに白湯ばかり、お茶をくれん。湯たくさん茶くれん。」と言われた。
それからというもの、当院浄土院は「湯たく山茶くれん寺」と呼ばれるようになったと伝えられている。
<浄土院>
天台宗般舟院の穏居所として創建。天正15年(1587)北野大茶会の折、豊臣秀吉が立ち寄り茶を所望したが、庵主はへたに出せば恥をかくだけ、と白湯(さゆ)ばかり出したので、秀吉は「湯沢山茶くれん寺」と命名。この一言が別名になった。名水の井戸跡は今も残っている。浄土宗。本堂に、阿弥陀如来坐像(重文)が安置されている。建立:藤原時代末期。本堂の屋根には寒山、拾得像の焼き物が乗せられています。向かって右側が寒山像で巻き物を携えています。左側にはほうきに乗った拾得像がある。いずれも安土桃山時代の陶工で楽家(千家十職の一つ)初代長次郎の作と伝えられている。 |
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