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正しくは家隆山光明遍照院(かりゅうざんこうみょうへんしょういん)石像寺(しゃくぞうじ)という浄土宗の寺院で、「釘抜地蔵」「くぎぬきさん」として親しまれている。
弘法大使(空海)の開基と伝えられ、もと真言宗であったが、重源(ちょうげん)上人が中興してから浄土宗となった。
地蔵堂に安置する石造地蔵菩薩立像は弘法大使の作と伝えられ、もとは諸々の苦しみを抜き取るという信仰から苦抜(くぬき)地蔵と呼ばれていたが、それがなまって釘抜地蔵となった。
一説には、手の病気に苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた二本の恨みの釘を抜いて救ったことから釘抜地蔵と呼ばれるようになったとも伝えられる。
地蔵堂背後の阿弥陀三尊像(重要文化財)は、鎌倉初期の傑作で、中尊の阿弥陀如来像は高さ約1.2m、元仁元年(1224)伊勢権守(いせごんのかみ)、佐伯朝臣為家(さえきあそんためいえ)によって彫られ、翌年、開眼供養した銘がある。観音堂には行基の作と伝えられる観世音菩薩を祀っている。 |
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境内には、弘法大使三井(さんせい)の一つという加持水(かじすい)がある。また、この地は鎌倉時代初期の歌人・藤原定家、家隆が住んだ所ともいわれており、定家らの墓と伝えるものがある。 |
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