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宝鏡寺は、西山と号する臨済宗の寺院で、寛永21年(1644)に後水尾天皇の皇女理昌尼王が入寺してからは尼門跡寺院として栄え、今日も百々御所(どどごしょ)の名で知られる。
境内は天明8年(1788)の大火で焼失し、まず復興されたのが書院で寛政10年(1798)3月に上棟した。建物は、東端北寄りに主座敷である御座の間、手前に次の間の大広間を配し、さらにこの西寄りに猿の御間以下七室と鞘の間が3列に並ぶ。
襖絵は、天保4年(1833)に円山派の絵師により描かれたものである。この後、少し遅れて文政13年(1830)に本堂・使者の間・玄関等が造営された。このうち本堂は、前後各3室からなる六間取の方丈形式で、後列東端は床を一段高くして上段の間とするが床の間・棚等の座敷飾りを欠いている。
また、室境には狩野派の絵師により描かれた襖絵が残る。さらに弘化4年(1847)、光格天皇勅作の阿弥陀如来像とともに御所の建物の古材を賜り、阿弥陀堂が造営された。宝鏡寺の書院以下のこれらの建物は、尼門跡寺院の構成をよく伝えるものとして価値が高い。 |
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