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金剛山と号し、臨済宗相国寺派に属する。この地は九世紀初頭、壇林皇后によって非田院(病人・貧窮者・孤児の救済施設)が建てられ、文明2年(1470)後花園天皇が没したとき、その遺骸が火葬されたところでもある。
応仁の乱後、久しく荒廃していたが、天正14年(1586)に虚應和尚がその由緒ある遺跡を惜しんで、一字を建立したのが当寺の起こりである。堂宇は度々火災にあい、現在の建物は文化5年(1808)以後の再建である。本堂内には、本尊として釈迦如来、脇侍に迦葉・阿難を安置するほか、後花園天皇の念持仏という観世音菩薩像を祀る。 |
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境内にある織部稲荷社は当寺の鎮守社で、17世紀初期の織部流茶法の祖、古田織部正が伏見稲荷から勧請したものという。開運福徳の神として、また織物技術上達の神として土地柄から西陣織物業者に信仰が篤い。二月・八月・十一月には織部稲荷奉賛会によって祭祀が行われる。本堂背後には後花園天皇の火葬塚がある。 |
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