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この寺は臨済宗建仁寺派の塔頭で禅居庵という。臨済宗では境内に、本堂の本尊とは別に鎮守を祀る。毘沙門天、弁財天、大黒天など、天部と言われるこれらの他にも、陀枳尼天(だきにてんー稲荷)や、天神さんなどを祀る寺院もある。天災地変・火災盗難などから境内・諸堂を護り、仏法益々の興隆を願うのです。天部とは古代インドのバラモン教の神々が仏教に取り入れられ、仏教の守護神、護法神となったものを総称したものです。摩利支天もこの一つになる。
摩利支天の語源はサンスクリット語で、陽炎(かげろう)を意味するMarici(マリーチ)の音を漢字に写したものです。またそのルーツは威光、陽炎が神格化した古代インドの女神マーリーチで、創造神フラフマー(梵天)の子と言われている。
「仏説摩利支天経」によると、「天女あり、摩利支と名づく。大いなる神通自在の力をもつ。常に日月天の前を行く。日天・月天は彼を見ること能(あた)わず。彼は能(よ)く日を見る。人の見る能う無く、人の知る能う無し。人の捉える能う無く、人の縛る能う無し。人の害する能う無く、人の欺(あざむ)き誑(たぶら)かす能う無し。人の其の財物を債る能う無く……」などとあり、また「若し彼の摩利支天の名を知りて常に憶(おも)い念者あれば、彼の人亦(また)、見られるべからずして知られべからず……」と、その人は摩利支天と同様の功徳が得られると書かれている。 |
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このように陽炎には実体が無いので、捉えられて傷つけられることが無い。害されることが無いところから戦国の武将の間にこの摩利支天信仰が広がったようです。他にも楠木正成や前田利家は兜の中に摩利支天の小像を入れて出陣したと言われている。 |
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