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京都五山の一つで最も古い禅寺。臨済宗建仁寺派の大本山。栄西禅師は中国に留学して臨済宗を学び、帰国後、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の庇護のもとで、建仁2年(1202)京都東山の地に建仁寺を開いた。
何度かの兵火をくぐりぬけて、天正年間(1573〜92)に安国寺恵瓊によって再興された。室町時代の最盛期には塔頭寺院60余を数えたが、創建当初の建物は応仁・文明の兵火などで荒れ、現存の大部分は江戸時代以降に復興されたものである。
今では、往時の壮大な面影はなくなってしまった。方丈(重要文化財)は単層入母屋造、屋根は銅板葺で慶長4年(1599)広島の安国寺から移築され、三門は静岡県浜松市雄踏町の安寧寺から大正12年(1923)に移建されたものである。
歴史のある寺だから,多くの宝物を所蔵している。栄西が鴨川から引き上げたという鐘、勅使門(重要文化財)、俵屋宗達作の風神雷神図(国宝)などがある。竹垣は建仁寺垣と呼ばれ有名である。境内には勅使門、三門、仏殿、本坊が一直線に並び、境内への立ち入りは自由になっている。現寺域約2万2千坪、山内寺院14ヶ寺。 |
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<栄西禅師>
御開山は寺伝では「ようさい」であるが、一般には「えいさい」と慣用される。永治元年、備中(岡山)吉備津宮の社家の生れ、14歳で比叡山に登り天台密教を修めたのち、2度の入栄(現中国)求法を果たし日本へ最初に禅を伝えた。
中国から将来した茶種による茶の栽培やお茶の効用をを説いた「喫茶養生記」を著すなど現在に至る日本のお茶文化を礎を開いた。「茶祖」として親しまれている。建保3年示寂。75歳。 |
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