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「国家安泰 君臣豊栄」の文字が豊臣家の滅亡につながっていく歴史的な大鐘である。大鐘の上部、白く囲まれた部分がそれに当たる。
<方広寺大仏殿遺物>
本遺物は、豊臣秀吉によって造立され、慶長年間末期に豊臣秀頼により再興された方広寺大仏殿および大仏の一部であると考えられるものである。
大仏殿関連が銅製風鐸、銅製舌各1点、鉄製金輪4点、大仏関連が銅製蓮肉片、銅製蓮弁、鉄製光背金具各1点の計9点からなる。このうち、風鐸と舌には銘文が刻まれており、「国家安泰・君臣豊楽」の文字のある著名な同寺「梵鐘」(重要文化財)を製作した三条釜座の鋳物師名超(名護屋)三昌らによって慶長17年(1612)に製作されたことが判明する。他の7点についても、風鐸や舌と前後する時期の製作と考えられる。 |
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大仏殿及び大仏は、寛政10年(1798)の落雷により大仏、大仏殿ともに焼失している。従って、本遺物は豊臣家建立の寺院として東山に偉容を誇った方広寺大仏殿のありし日の姿を伝える資料として貴重なものである。(京都市指定有形文化財)
右下画像は、豊臣秀吉が天正14年に築造した大仏殿の石垣で方広寺の入口にある。 |
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伝教大師作・豊太閤護持の大黒尊天を祀る方広寺。往時は広大な寺域があった方広寺だが、現在は鐘楼とこの建物が方広寺である。 |