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至徳三年(1836)開基。永禄10年(1567)境目城築城のため今川氏真に接収され、換地として現在地に移った。重要文化財や県・市指定文化財を多く今日に伝えている日蓮宗の寺院。
永禄11年(1568)徳川家康による入出の宇津山城攻撃の際には、境内に家康の本陣が置かれた。 |
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山門は寛文5年(1665)移建された当山最古の建造物である。形式は、二本の本柱の前後に四本控柱を添えた四脚門である。<br />
建築様式は、鎌倉時代に宋朝より伝来した禅宗様を主軸とし、一部に天竺様の手法を加えている。礎盤付の粽柱(ちまきばしら)や藁座(わらざ)の手法などは前者の意匠であり、肘木が本柱に挿込まれた挿肘木(さしひじき)や、木鼻の手法は後者の意匠である。<br
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正面中央に掲げる「延兼山」の篇額の背後にある菱格子欄間や、二重繁捶の木口の装飾などは凝ったものである。屋根は本瓦葺で反りと勾配の釣合は重厚な安定感を持っている。(市指定文化財) |
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妙立寺にある豊田家(豊田佐吉)の墓。筆子塚(寺子屋の先生を弟子が顕彰するために設置したもの)には、佐吉の父である伊吉の名を見ることができる。 |
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