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寺伝によれば、推古天皇4年(596)聖徳太子の創建といい、また天武天皇4年(576)役小角が来山して修行中、童子と化した子守・勝手・金精の三神とともに一体の蔵王権現の像をつくり、本尊として安置したとのが起こりと伝え、寺号もこれに因んで神童寺と名づけたという。
神童寺はその後、衰退期を迎えたが、興福寺の僧願安によって復興し、山岳修験の道場として、北の鷲峰山から尾根伝いに行場が開かれ、不動明王が祀られた。園城寺の黄不動、高野山の赤不動、青蓮院の青不動と並び称される、平安時代の白不動明王立像がそれで、他に密教由来の仏像を多く安置する。
収蔵庫には、国の重要文化財に指定されている木造不動明王立像、木造愛染明王坐像や木造阿弥陀如来坐像など多数安置されている。
<本堂>
室町時代の建立。蔵王権現像を本尊としているので、蔵王堂ともいう。外観は方三間、単層、寄棟造、屋根は本瓦葺とし、前面に一間通りの吹放し広縁をつけ、広縁の屋根が縋破風となっているのが珍しい。内部は周囲一間を内陣とし、和様と唐様折衷の須弥壇を置く。床はすべて拭板を敷き、天井は内外陣とも棹縁天井で、向拝は化粧屋根裏である。一部後世の修理に属するが、組物等になお室町中期以後の遺構をとどめている。 |
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