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真言宗智山派の寺院で山号は普門山。今昔物語集に出てくる「蟹の恩返し」の伝承で知られる。白鳳時代末期(680年前後)に創建された。
寺の名前は蟹幡(かむはた)郷という美称である「神(カム)」と織物を意味する「幡(ハタ)」からなる地名に由来し、この地は古代には渡来系民族で織物にたずさわる人が多く住んでいたようで、白鳳時代末期に国家かそれに準ずる豪族によって建てられたと考えられています。
平安時代以降は、今昔物語集に出てくる「蟹の恩返し」縁起で有名になりました。本堂は宝暦9年(1759)に建て替えられ以降そのまま250年間経ち、このたび改築されて平成22年(2010)年4月落慶法要が営まれました。
本堂中央の釈迦如来像(国宝)は創建当時より不動であることが調査の結果解りました。(木津川市観光ガイドより)
<蟹満寺縁起>
昔、このあたりに善良で慈悲深い夫婦と一人の娘が住んでいたという。娘は、幼い頃から特に慈み深く、いつも観音経の普門品を読誦して観音さんを信仰していた。
ある日、村人が、多くさんの蟹を捕えて食べようとしているのをみて、その蟹を買って草むらへ逃がしてあげた。父親が、畑仕事をしていると、蛙を呑み込もうとしている蛇を見つける。蛙を助けようとした父親は思わず「蛙を放してやったら娘を嫁にくれてやろう」と言ってしまう。すると、蛇は、蛙を放して姿を消した。
その夜、五位の衣冠を着た青年が家を訪れてきて、昼間の約束を迫ってきた。父親は、困り果てて、嫁入仕度を理由にして、三日後に再び来るようにと青年を帰した。
三日後、家族は、雨戸を堅く閉ざして恐ろしさで閉じこもっていた。青年は、怒り、本性を現して蛇の姿となって荒れ狂った。
娘が、ひたすら観音経の普門品をとなえていると、温顔に輝く観音さまが現われて「決して恐れることはない、汝らの娘は慈悲の心深く常に善良な行いをされ、また我を信じて疑わず、我を念ずる観音力は、この危難を排するだろう」と告げて姿を消した。すると、雨戸を叩く音が消え外も静かになった。
夜が明けて、外に出てみると、ハサミで切り刻まれた大蛇と、無数の蟹の死骸が残されてた。家族は、観音さんの守護を感謝して、娘の身代りとなった、多くの蟹と蛇の霊を弔うため、御堂を建てて観音さんを祀り、「蟹満寺」と名付け、観音経の普門品をとなえていたことから「普門山」と号したといわれる。(京都通百科事典より) |
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