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<藤勧進>(ふじかんじん)
小林一茶は、木更津に度々訪れ選擇寺(せんちゃくじ)に宿泊することもあった。
文化六年三月六日、当寺末寺の東岸寺の大藤の下に於いて、一茶俳諧友の大椿・両十・魚沢・貞印等が集まり、「藤勧進」の句会が開かれた事が「文化句帖」に記載されている。
選擇寺から東岸寺にかけ、幾つもの藤棚があったと伝えられ、その「藤勧進」句会を偲ばせる唯一の藤棚が、木更津第一小学校に花を咲かせている。
又、俳諧の友「大椿」は選擇寺二十八世潮誉秀海上人で、東岸寺住職を経て選擇寺に入山された。一茶と大変親しかった様です。
本年秀海上人の二百回忌菩提の為、「藤勧進」の折に詠んだ一首を石に刻み供養とするものです。
<木更津市近代幼児・児童教育 発祥之地>
明治五年学制が公布され、翌年、当地域の証誠寺に南校、光明寺に北校、吾妻に吾妻校の小学校が置かれたが、当時は寺子屋の延長線上の様であった。
明治十一年、選擇寺の北境内地を当て、新校舎が出来上がり、この三校が合併し「君津黌」(きみつこう・現木更津第一小学校)となった。
これが本市の近代建築校舎による小学校教育の始まりである。
又、本市おける幼児教育の最初は、明治二十六年佐々木かね園主により、「木更津幼稚園」が、選擇寺境内に設置された。
選擇寺は、木更津市における、近代幼児・児童教育の発祥の地であり、今般小学校校舎建築に当たり、記念碑を建立する。
当寺には、歌舞伎「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)で切られ与三郎の相棒としておなじみの「こうもり安」の墓がある。 |
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