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創立は元禄4年(1691)、山門を入ってすぐ左の墓所に、旅籠屋を営んでいた小松屋源蔵の墓を囲むように39基の飯盛女の墓がある。この墓は源蔵が建てたものです。39基の墓石には48体の法名が刻まれていて5体は男です。
飯盛女のいる旅籠は繁昌した。藤沢宿には旅籠が49軒あり、このうち飯盛女をかかえたのは27軒あった。一軒に2人ずつ置かれていた。
飯盛女は近くの農村や他国からも両親の借金の代償としてなかば売られて藤沢に来たのです。旅人の世話や食事の給仕だけでなく男たちの相手にもなった。飯盛女として悲しい一生を終えた。 |
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